Feb 16, 2009

外壁塗装をする際の注意点

外壁塗装時に塗料の色を決定する必要があります。既存の外壁が単色で同じ色に塗装する場合はあまり問題になりませんが、色を変える場合は注意が必要です。一般的に色見本を使用して、ペイントの色を選択します。しかし、小さいサンプルと実際の外壁塗装の場合、色の見え方に違いがあります。よりイメージに簡単に、また、塗装後の確認のため必ず選択した塗料を使用して少し大きめのサンプルを作ってもらい確認して、外壁塗装をするようにしましょう​​。
どのようなデザイン設計事務所と工務点で建てるのか、どのハウスメーカーにするか、構造工法はどうするのか、構造は、建築資材は、仕様ではどうするのかなど、注文住宅の家づくりは選択と決断の連続です。迷ったり悩んだりも家庭の作成の過程を楽しむ要素の1本もありますが業者任せてしまっては後悔先に立たせていません。予算の範囲内でできることは限られるため、自分が望む生活をイメージして、何を大事にするか優先順位を決めては、余計な心配しないで注文住宅の家づくりがスムーズに事が進行されます。
【僕たちのプレーボール】

 海からの強風が吹いてくると、粉塵(ふんじん)がざざっと舞い上がる。ブルーの作業着にヘルメット、マスクに長靴姿で泥のかきだしをしていた西尾俊介(28)は一瞬目を閉じたが、すぐにスコップを持ち直して黙々と作業を続けた−。

 「窓ガラスが砕け散った自動車が工場に突き刺さっていて、門の前には住宅が流れ着いていた。大きなものは重機で運び出しましたが、泥だけは人力です」

 海に臨む工場の広大な敷地には、資材を運搬する紫色のコンテナが無残に転がり、巨大な紙のロールが散乱する。電柱が倒れ、工場内に引き込まれていた線路は折れ曲がっていた。

 宮城県石巻市の日本製紙石巻工場。建物の中にまで、木材の破片やコンクリートの残骸、泥が折り重なっている。

 工場の硬式野球部の選手たちは、主将を務める西尾をはじめ全員、ユニホームを作業着に替え、朝8時半から工場内の泥のかきだしや同僚の家の片付けに従事していた。

 震災当日、チームは試合のため東京にいた。全員が石巻に帰ることができたのは3月30日。震災が起こってから19日後のことだった。野球部監督の木村泰雄(50)は、「テレビや新聞で被害の状況はある程度わかっていたつもりでしたが、実際見てみると、あまりのことに声も出なかった。震災のとき、その場にいなかったことに申し訳なさがいっぱいになった。時間が戻ってくれればと、これほど願ったことはない」。

 工場の野球部は、いま注目の社会人野球チームだ。かつての弱小チームが、会社あげての強化策が実って昨年、創部25年目で初めて、社会人野球の最高峰「都市対抗野球大会」への切符を手にした。悲願の初出場に、石巻は町をあげて大いに盛り上がり、「工場も町も目に見えて活気づいた」と野球部顧問で工場長の倉田博美(63)は振り返る。

 北海道生まれで北海道の社会人チームで活躍、4年前に移籍した西尾も、「石巻は住み心地がいい町。みんな温かいし心から応援してくれる」と語る。

 今年も再び「都市対抗」へ。市民の期待を一心に背負って今シーズンのスタートを切った野球部。しかし、津波がそんな願いをもひとのみにした。

 震災から約2カ月。ユニホームも着られず練習も行われなかった。「野球はもう無理だなと思った。というより、野球なんて言ってられないな、という心境だった」と西尾。

 西尾自身、職場の先輩を亡くしていた。

 社会人野球は、仕事と野球の両立が難しい。日本製紙石巻の選手たちも午前中は勤務、午後は練習という体制の上、長期遠征などもあり、職場の理解と協力が不可欠だ。

 「そういうこともすべてわかってくださり、いつも応援してくださる先輩でした」と西尾は言葉をつまらせる。「地震のとき石巻にいなかったので、なかなか実感がわかなかった。でも火葬に行ってお顔を見たとき、ああ、本当に亡くなられたんだ、と…」

 誰しも、家族、友人、知り合いの誰かを亡くしていた。避難所から工場に通っている人たちもいる。「そんな状況の中で野球なんて…」

 それでも西尾は、昼間の泥かきやボランティアを終えると、ランニングなどの自主トレを欠かさなかった。

 再び野球を、と気持ちを取り直すことができたのは町の人々の声だった。

 津波と火災で小学校を失った近所の「門小ガッツ野球スポーツ少年団」の子供たちは震災後、選手たちとキャッチボールやバッティング練習をして、「将来、お兄ちゃんたちみたいになって日本製紙石巻に入りたい」と目を輝かせた。

 工場や町の人々も選手を見かけると声をかけてくれる。「野球頑張って」「早く試合が見たいな」と。

 会社から練習再開のGOサインが出たのは5月の連休明け。18日から全員集まって練習が始まった。

 「野球部をやめるという気持ちは一瞬たりともなかった」と倉田工場長。「野球で町と工場を元気づけてもらいたい。野球部には石巻の復興のシンボルになってほしい」

 木村監督はミーティングで選手たちに語りかけた。「こういう状況のなかで野球をさせてもらえることに感謝しよう。われわれは必ず都市対抗に出て優勝を目指す」

=敬称略(亀岡典子)

 東日本大震災の被災地から立ち上がる日本製紙石巻硬式野球部の選手たちの思いと、チームと一体となった町の希望をシリーズで追っていきます。

【用語解説】日本製紙石巻硬式野球部

 宮城県石巻市に所在する日本製紙石巻工場の社会人野球チーム。創部は昭和61年。昨年、創部25年目で初めて東京ドームで行われた「第81回都市対抗野球大会」に出場を果たした。地域の青少年育成のため野球教室を開催するなど社会活動にも積極的。石巻の知名度向上に貢献したとして、今年1月、「いしのまき大賞」を受賞。チームカラーはブルー。岩手の看護師&求人☆の流れ

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